テイスティングコメント

ウィスキーやジンをはじめとしたハードリカーが好きで飲んだり集めたりしているんですが、未だにあのテイスティングコメントとかいうやつが身につかない。レーズンがなんとかナッツがどうとか。ドライフルーツって何だよ。フルーツじゃダメなのか。干さなあかんのか。まあ、色味はともかくとして、香りや味は先入観やブランドイメージによるところも大きいような気がするんですが、その道のプロっぽい人はいともたやすく各種ボトルの個性を差別化、明文化していらして、よくやるなあと思います。というか、ウィスキーにおけるテイスティングコメントって殆どの場合においてアナロジーに従属する形をとってますよね。焼肉や寿司みたいな代表的なグルメはそのカテゴリ内における優劣を舌ざわりだとか歯ごたえだとかの「触感」と、甘味、酸味などの「味覚」なんかを用いて表現しますけど、ウィスキーはそれに具体例っていう質量を持たせているように思えます。テイスティングコメントにおけるアナロジーの羅列は、ひとえにウィスキーがその構成要素に「触感」を含まない液体だからなんでしょうか。とか、今適当に考えました。それとも単なる流行りか何かなんですかね。それはそれとして、自分がテイスティングコメントに馴染めないのは安易なアナロジーに抵抗を感じるからなのかもしれません。例えば今飲んだその銘柄の香りを「りんご」に例えたとして、鼻をつく清涼感ある甘酸っぱさと新緑の心地よさが想起されますが、その時果たして我々は例えようとするあまり「りんご」に引っ張られてはいないでしょうか? 目の前のものを理解しようとするあまり、この品物がりんごの様である何かを探そうと、躍起になってしまってはいないでしょうか? 既存の何かをよすがにすることで、確かに理解は促進されますがアウラは失われます。だからといってこれらに代わる手法を思い付くかといえば特に何が思い付くというわけでもなく、何が言いたいかというと言語はクソ。我々は言語の奴隷。死ぬまで言葉しか話せない。自死します