ここにいまうs

 引っ越しの過程で荷物をまとめているときに、ふと感じたことがある。段ボールにせっせこと荷物を詰めている傍らで、それは鼻腔を擽ってきた。なんだか懐かしい……どこか落ち着きを感じるこの香り。決していい匂いとは言えないけれど、自分はこれが案外嫌いでない……そんな感じの匂い。出どころは、梱包用に脇に置いていた布テープの匂いでした。独特の、どこか科学的で饐えたような匂いは……と記憶を探ってみれば。

 

 そうだ……これは……あれだ…………。

 

 愛すべきモルトラガヴーリン16年のそれだ。

 

 ……いや、もうそれにしか思えなくなってしまった。本当に。これまで海辺だとか甘じょっぱさとか色々自分なりに言葉にしてきた中で、これ以上ないくらいビッタシとハマってしまった。ラガヴーリンは布テープです。そして布テープはラガヴーリンです。

 

 そんな気付きを得つつも、ようやく荷造りがほとんど完了しました。そうして身軽になったので、この度ようやく免許の発行に行ってきた次第です。

 

 これまでの二十二年間で未だに免許証を作っていないことに多少の焦りを感じていたのも事実なので、ようやく訪れた機会という感じでしょうか。朝方から長蛇の列に並び、手続き→待機→手続き→待機……の流れを数度繰り返した末に夕方頃、ようやく手に入れました。それにしても待機時間の長いこと長いこと。

 

 

 この行間で四日が経過しました。

 なので話題が変わります。

 

 希死念慮が膨らんでいる。しんどい。ようやく退去に際しての荷造り・運搬が完了し、もう何もやり残したことはない。いざがらんどうになった部屋を見てみると、途端に寂寥感が湧いて出た。

 

 実家に帰った。自室に引きこもっている。親の会話が漏れ聞こえるが、何か陰口をたたかれているような気がしてならない。話しかけられると途端に何もかもを否定されてしまうような気がして、怖い。話したくない。事務的な会話を交わすのさえ怖い。

 

 実家の部屋は、四方を本棚に囲まれたとても手狭な万年床だ。荷物を詰め込んだ今現在はなおのこと足の踏み場がなく、まるで自らの余裕のなさを表しているかのようで、そんなことを考えると胸がしんどくなる。

 

 先日、父に虐待される夢を見た。何もかもを頭ごなしに否定され、包丁を持ったまま追い回される夢を見た。気付けば涙が溢れ出し、頬を伝う大量の涙に無理矢理目覚めさせられた。

 

 向精神薬はもう効果を感じない。それよりもむしろ無用なトラブルを招かない事なかれ主義の方がよっぽど心にやさしいと気付いた。

 

 実家を出る前と現在で、大きく変わったことがある。それは親と対面しているときに発生する感情が「怒り」から「恐れ」へ性質を変化させたことだ。以前まではいつ殺してくれようかと、どこか野心家めいていた自らのフラストレーションが、今はとてもネガティブで内向的なものへと変化している。親に敬語を使いたい。フランクに話せない。この人たちが怖い。不安定な自分を傷つけないでください。そう思ってはいるものの声に出すのはおこがましいので、どうぞ踏みにじってください。でも、お願いですから、殺さないでください。あなたの言葉に殺されるのが怖いんです。ごめんなさい。謝らせてください。許してください、清算させてください。この気持ちに整理をつけさせてください。

 

 もうわからない。胃は汚泥を詰め込んだかのように不快感を訴え、胸は動悸すれすれの様子で、両の眼はいったい何を見ているのか窺い知れない。昨日から夜を日に継いで行動しているというのに、眠気らしい眠気が訪れやしない。ニコチンからしか安らぎを得ることができていない。いえ、無論今の彼女からも十二分にいただいている。けれどいいんだろうか。こんな人間の面倒を見てもらって、迷惑じゃないだろうか。わからない。自分は彼女にこのブログを見せるだろう。じゃあ取り繕うべきなんじゃないだろうか? わからない。彼女は正直なところが好きだと言ってくれる。でもこうまで赤裸々で、みっともない人間でもなお、そう言ってくれるのだろうか?

 

 四日前と四日後のブログでした。生活基盤を移し終えたので、とにもかくにもひと段落です。

 

 何をどうすればいいんですか?