ここにいまうs

 引っ越しの過程で荷物をまとめているときに、ふと感じたことがある。段ボールにせっせこと荷物を詰めている傍らで、それは鼻腔を擽ってきた。なんだか懐かしい……どこか落ち着きを感じるこの香り。決していい匂いとは言えないけれど、自分はこれが案外嫌いでない……そんな感じの匂い。出どころは、梱包用に脇に置いていた布テープの匂いでした。独特の、どこか科学的で饐えたような匂いは……と記憶を探ってみれば。

 

 そうだ……これは……あれだ…………。

 

 愛すべきモルトラガヴーリン16年のそれだ。

 

 ……いや、もうそれにしか思えなくなってしまった。本当に。これまで海辺だとか甘じょっぱさとか色々自分なりに言葉にしてきた中で、これ以上ないくらいビッタシとハマってしまった。ラガヴーリンは布テープです。そして布テープはラガヴーリンです。

 

 そんな気付きを得つつも、ようやく荷造りがほとんど完了しました。そうして身軽になったので、この度ようやく免許の発行に行ってきた次第です。

 

 これまでの二十二年間で未だに免許証を作っていないことに多少の焦りを感じていたのも事実なので、ようやく訪れた機会という感じでしょうか。朝方から長蛇の列に並び、手続き→待機→手続き→待機……の流れを数度繰り返した末に夕方頃、ようやく手に入れました。それにしても待機時間の長いこと長いこと。

 

 

 この行間で四日が経過しました。

 なので話題が変わります。

 

 希死念慮が膨らんでいる。しんどい。ようやく退去に際しての荷造り・運搬が完了し、もう何もやり残したことはない。いざがらんどうになった部屋を見てみると、途端に寂寥感が湧いて出た。

 

 実家に帰った。自室に引きこもっている。親の会話が漏れ聞こえるが、何か陰口をたたかれているような気がしてならない。話しかけられると途端に何もかもを否定されてしまうような気がして、怖い。話したくない。事務的な会話を交わすのさえ怖い。

 

 実家の部屋は、四方を本棚に囲まれたとても手狭な万年床だ。荷物を詰め込んだ今現在はなおのこと足の踏み場がなく、まるで自らの余裕のなさを表しているかのようで、そんなことを考えると胸がしんどくなる。

 

 先日、父に虐待される夢を見た。何もかもを頭ごなしに否定され、包丁を持ったまま追い回される夢を見た。気付けば涙が溢れ出し、頬を伝う大量の涙に無理矢理目覚めさせられた。

 

 向精神薬はもう効果を感じない。それよりもむしろ無用なトラブルを招かない事なかれ主義の方がよっぽど心にやさしいと気付いた。

 

 実家を出る前と現在で、大きく変わったことがある。それは親と対面しているときに発生する感情が「怒り」から「恐れ」へ性質を変化させたことだ。以前まではいつ殺してくれようかと、どこか野心家めいていた自らのフラストレーションが、今はとてもネガティブで内向的なものへと変化している。親に敬語を使いたい。フランクに話せない。この人たちが怖い。不安定な自分を傷つけないでください。そう思ってはいるものの声に出すのはおこがましいので、どうぞ踏みにじってください。でも、お願いですから、殺さないでください。あなたの言葉に殺されるのが怖いんです。ごめんなさい。謝らせてください。許してください、清算させてください。この気持ちに整理をつけさせてください。

 

 もうわからない。胃は汚泥を詰め込んだかのように不快感を訴え、胸は動悸すれすれの様子で、両の眼はいったい何を見ているのか窺い知れない。昨日から夜を日に継いで行動しているというのに、眠気らしい眠気が訪れやしない。ニコチンからしか安らぎを得ることができていない。いえ、無論今の彼女からも十二分にいただいている。けれどいいんだろうか。こんな人間の面倒を見てもらって、迷惑じゃないだろうか。わからない。自分は彼女にこのブログを見せるだろう。じゃあ取り繕うべきなんじゃないだろうか? わからない。彼女は正直なところが好きだと言ってくれる。でもこうまで赤裸々で、みっともない人間でもなお、そう言ってくれるのだろうか?

 

 四日前と四日後のブログでした。生活基盤を移し終えたので、とにもかくにもひと段落です。

 

 何をどうすればいいんですか?

呼吸が苦しい

 デパスを服用した。胸が苦しく息が浅いので。不安感に潰されてしまいそうだ。情緒もいい加減に落ち着いたかと思えば、こうしてすぐさま元の木阿弥になってしまうこともしばしば。しかしこの薬を飲む意味はあるんだろうか。最初の一錠こそ効果を実感できたものだが、それ以降はとんと実感がない。動悸は収まらず、呼吸が深くなることもない。煙草の方がまだ幾分か心が安らぐ。きちんとした手順を経て処方されたわけでもないこの薬を、しかしインターネットや周囲のメンヘラが付与したブランドイメージにおいてのみ信頼している自分はどうしようもない人間だ。もう、残すところ最後の一錠となった。未だなお心療内科にかかったことはないが、この度足を運ぶ決意をしたものだから、いい加減に日取りを決めないといけない。その時自分は何を言われ、また何を話すのだろう。自らの生い立ちを振り返るにあたり自罰に走るか他罰に走るか、その狭間で揺れ動いている。いや、そんなことはない。自分はこのどうしようもない自分自身の存在を、きっと誰かのせいにするだろう。だって修めた学問も、そうしろって言ってたもの。

 

 そんなに勤勉でしたか? 本当に、心の底から学問なんかに心酔できているんですか?

 

 ごめんなさい、きっとそんなことはありません。

 

 ただただ親が憎い。怖い。しんどい。どうすればいいですか。

メンヘラ会 薫風の部

  免許発行に向かうも免許センター現地にて必要書類を忘れてきたことに気付き、折角の早起きが無駄になったことにイラついたのでブログを書きます。

 

 これは自分なりの生き方のクセというか、ひとえに寂しがりのメンヘラクソ人間であるがゆえの振舞いなんだろうが、とにかく久しく会ってない人間に果敢に連絡を送るクセがある。喧嘩別れも何も関係なく、元カノだとか、絶縁した悪友などにふとした瞬間にコンタクトを図り、ともすれば翌日には朝方まで飲み明かすなどして久闊を叙する。どこか女々しくもあるこの行動をしかし自分はある種の長所だと思っていて、それはこの振舞いが、自分みたいな人間が生に縋りつくにあたっての生存本能として、十全に機能していることの証左だと思えてならないからである。まだ生きていたいと心から思えていることに、安心感を覚える。しかし世界はよくできたもので、類は友を呼ぶという言葉にも表れている通り、自分のような人間と絆を築いてくれる人間は決まってソーシャルマイノリティのきらいがあり、情緒も安定しない御仁が多いため、彼彼女らは知らない間にしばしば消息を絶つ。それを手繰り寄せるかのようにして紡いできたこれまでの人生を振り返ってみて、この図々しさがなければ、今ほどの充足感は得られていなかったであろうことは想像に難くない。今が決して満たされているとは思わないが、きっとこれよりも酷いことになっていただろうから。

 

 そんなクセが先日も猛威を振るい、かつての職場の上司とコンタクトを取った。彼は四十過ぎの男性で、当時は職場を取りまとめる地位の人間として我々職員と友好的な関係を気付いていた。年の差を感じさせないフランクな態度は彼の普段着にも表れていて、早い話が若い人だ。とても四十代には見えない彼を中心として、当時の職場では精神疾患をはじめとするソーシャルマイノリティユーザーを対象にしたコミュニティが形成され、自分も場を盛り上げる中心的人物として活動していた。一度火が付けば誰も彼もがまぐわいそうな危うい関係性を孕んでいた組織(というか一部は現にそうしており、自分はそれを傍から眺めてケタケタと笑う役どころ)であったが、フラッグシップ的存在の人物が一時音信不通に陥ったことにより、なし崩し的に瓦解したのだ。そんなコミュニティを昨日、改めて復興させようという話になった。無論これは先日の自分が決別を表明した露悪的なコンテンツ精神の温床にほかならず、またぞろあのサークラメンヘラ女と顔を突き合わせるのかと思うと、好奇心と不安感の入り混じった何とも言えない気分になる。この辺は確か以前のブログにも書いた気がするので、これ以上の詳細は割愛するが、ともかくそういった集まりにまた顔を出す運びとなった。

 

 そんなメンヘラ会の集合場所は決まってHUBだ。大阪式の金勘定ですっかり脳がイカれてしまったのか、何だかHUBの値段設定さえ割高に思えてくる。世間一般ではリーズナブルで通っているというのに。まあ、実際に顔を出した際には軽くレポートでも書きます。

 

 さて今日は趣味の深夜ラジオのことでも話そうかと意気込んでいたのだけれど、思いのほか前置きが膨らんでしまったので、今日はこれくらいにしようと思う。ボリューム感としてもこれくらいがちょうどよく感じられるし、何より日記感覚で少したのしくなってきたので、書きたいことがあるうちは続けてみようと思う。

 

 多分次はラジオの話。あるいはキュウリンゴの話。

日曜日よりの使者

 缶ピースをこさえて、両切りの面倒さに痺れを切らす午前七時。こんな日曜日の早朝は、かれこれ十五年の付き合いになる腐れ縁の男との待ち合わせが、隔週ペースで控えている。この日曜日の早朝以外はほとんど仕事に明け暮れている彼は、システムエンジニアとコンビニ店員の二足の草鞋を履き倒しており、俗にいうワーカホリックだ。金に執着があるのかといえばそういうわけでもなく、ストイック(というかただ単に報酬系が機能していない)な彼のお金の使い道といえば、決まって他の誰かに金を貸すことだ。その経験がこうじてか、彼も齢二十二にしてさながら貸金業者のような振舞いを見せており、自前の借用書をこしらえている様には頭が下がる。そんな彼は良くも悪くも自分の為に何かをする、喜びを得ようとする傾向がほとんどなく、だからといって利他的な人間であるかと聞かれれば決してそんなことはないが、しかし利己的な部分が一切ないことを鑑みれば、消去法で利他的な人間と呼べるのかもしれない。その歪な利他精神に周囲は大いに漬け込み、むろん、この自分も例外ではなく、彼を都合の良い友人として度々呼びつけているわけだ。そんな彼にはここ数週間、引っ越しの手伝いをしてもらっている。日頃労働に明け暮れる彼の生活の合間にそのような雑事を押し込むことには気が引けないでもないが、しかし昨年のちょうどこの頃、彼の就労環境やライフスタイルに心配させられると異議を唱えたところ、やかましいと一蹴されてしまったので、以来彼の身体と精神に気を遣うことはあまりしないことにしている。死にたがりの健康状態にまで気を払う余裕はこちらにはないし、彼もそんなことは願っていないので。

 

 さて、今日もそんな彼と雑談を交わしベランダで灰を積もらせながら、着々と引っ越しの準備を進めていた。末日には引き払う手筈なので、いよいよ大詰めに差し掛かっている。そのこともあって午前にはおおむねやることがなくなってしまったので、どこかで飯でも食おうかという話になった。

 

「すき焼きが食いたい」

 

 彼はここ数週間、こればかりを口にする。安くて旨いを信条にしている根っからの大阪人である自分は、すき焼きならそれこそ自前で作った方がいいんじゃないかと言う。手頃なランチも、すき焼きとなると、ないではないだろうが……なにせパッと浮かんでこないので、いつも保留となる。そんなこんなでうだうだとしていると、時間は正午過ぎ。そうだ、かねてから話題に出していた鶴橋の焼肉に行こうか。日曜なら16時開店だから、それまで心斎橋で暇でも潰そうか。そんなことを提案し、彼が首を縦に振ったので、のんびりとアメ村を散策することとなった。場所柄もあったので服装には気を遣って、お気に入りのシャツとアウター、スニーカーを合わせていった。こないだ四か月ぶりにすっきりとさせた髪も、まだこの状態でのセットに慣れていないので、練習がてらある程度形作っていった。そんなこんなで、異性と会う時の装いで赴いたアメ村だったが、自分のオススメで貢茶を飲んだあたりから、明らかに彼の機嫌が悪い。というか、瞼も落ち、陰気なオーラが漂い始めている。自分はそれに既視感があった。ちょうど去年の今頃、彼と三泊四日の北海道旅行に出かけた時のことだ。自分は彼のこの急激なクールダウンに、旅先で何を拗ねているんだと激高(無論それまでに様々なフラストレーションは積み重なっていた)してしまい、遂には三日目の朝、彼を小樽の街に置き去りにして北海道の地を謳歌するなどした。自分も彼も精神的に不安定な人間であり、そんな両者が旅行であるとはいえ一時的に生活空間を共にするというのは、土台無理があったのだろう。変なところでドライな気質がある自分は、残りの旅程を大幅に改変し、詰めに詰め込んだ強行軍的スケジュールを見事成し遂げ、大満足のまま旅を終えるに至った。彼はすごすごと空港へ帰り、そのまま帰路に就いたという。これは彼との人間関係において生涯四度目の絶縁であり、これこそが腐れ縁と前置きしたゆえんである。互いに頭がバグっているので、くっついたり離れたり、劇的な離別からの理解不能な復縁へとスムーズに接続される様は、他人に話すと不可解で気味が悪いと言われる。ちなみにその時の復縁のいきさつはと言うと、泥酔し他人への感謝と謝意がとめどなく溢れてきた自分が、彼の職場へと押し掛け、頭を下げたことに端を発する。彼はそのイベントをまるで何事でもないかのようにあしらい、「久しぶりだな」と口を開いた。そこから今に至るわけだが、現在その時の悪夢(?)が再来しているというわけだ。彼の機嫌が明らかに悪く、普段はけたたましい笑い声を発する彼とは思えないほどの意気消沈ぶりは、躁鬱のそれを想起させる。彼はあの手この手で精神医療との衝突を避けてきたので、その具体的な診断名こそ出てはいないものの、叩けばホコリしかないような男なので、彼の今のこの状態が何かしらの心理的欠陥に起因することは想像に難くない。前回で経験したことを踏まえて、今回は素直に引くことにした。何か機嫌を損ねたかな?だとしたらごめんね。俺デリカシーないよね。まあ、たまには家でゆっくり休めな。なんて、そんなようなことを言ったと思う。

 

 そこから帰路に就くまでに、幾人かに電話を掛けた。せっかく洒落っ気を出してきているんだから、せめて誰かに披露したいな。とか、そんなことを考えていた。これがまあなんとも捕まらんもので、自分の人望のなさにつくづく悲しくなる。あまりにも悲しいので、そこまで気が進まない友人にも連絡したところ、途端に都合がついてしまった。余計に悲しいよお……。

 

 ハイネケン2缶。メロンとラベンダーのリキュール1本。缶ピース3本。アークロイヤル2本。貢茶のウーロンミルクティー1杯。格ゲー7~8戦。

 

 本日、17時時点での娯楽履歴です。

 

 ……割とカロリー摂ってて怖い。

その後の経過

 意気揚々と脱インターネット宣言はしたものの、やはりTwitterは未だにちらりと覗いてしまうし、つぶやいてこそいないものの、十年生活に根付いていたものからはそうそう離れられないのだと痛感した。どうしても積もってしまう独り言の欲が抑えきれず、遂には今朝つぶやいてしまいそうになったので、緊急避難として、リンクを添付しないことを前提としてこのブログの続きを書くことにした。これは一種の日記として、備忘録として、将来の自分へとあてた小説のネタ提供として、大いに活用されてほしいと願って執筆されている。誰に見せるわけでもないが、そうだな、またインターネットに舞い戻った折には、親しい人にログでも読んでもらおう。

 

 まずは近況。現状、新しい彼女とはうまくいっているし、互いの心中も気兼ねなく明かすことができていて、本当に心が休まる。元カノと自堕落なセックスに溺れていたことも告白し、その上で誠実に向き合う旨を告げ、彼女はその言葉に難色を示すこともなく、むしろ好意的な態度で接してくれた。最近、身の回りで色々な恋愛のゴタゴタを聞いた。そのどれもが例外なく男の浮ついた心と、それに傷心した女の大胆な報復(?)による一連のドラマであり、男とはなんとも贅沢なカス集団だなと、自分のことも含めてひしひしと感じる。金玉の皺が脳溝のそれと酷似しているのは、男が性器主体で物事を考えていることの証左にほかならず、つまるところ男は金玉の中に脳味噌を二つこさえているからタチが悪い。誠実であれよ。

 

 そういえば、元カノは家を出た。今は元カノとの同棲先にて、自分が一人で住んでいる形になる。ただしこの家は元カノの父の名義で借りており、月末には引き払うため、着々と荷物の整理を進めている段階だ。犬は人につき、猫は家につくというが、自分はどうだったのだろうか。元カノにも、この家にも、大した名残は感じていない。ただただ、実家へ戻ることへの不安感だけがぐるぐると脳裏を渦巻いている。そりゃそうだ、犬でも猫でもなく人だもの。強いて言うなら、もう何も気にせず部屋で煙草を吸えるようになったのは解放感がある。煙草をころころと変える男は浮気性とよく言うが、この度ようやく銘柄が落ち着いた。アークロイヤルのレギュラーや、ピースのシガリロに腰を据えることにした。しかし何分匂いが甘ったるいので、人前ではホープやハイライトに切り替えることもしばしば。ごめんなさい、全然落ち着いてないですね。ともかくとして、これからもこよなく愛するのは専らアークロイヤルだろうと思う。これなら、別にカートンで買ってもいいかなと。口腔喫煙を前提とした高濃度のシガー系にこのころ傾倒しており、アークロイヤルの巻紙はただの着色した紙巻でこそあるものの、その葉にパイプ煙草のものが流用されていることから、趣はそう変わらないものだと思っている。クールスモーキングを余儀なくされることからも、喫煙にあたってゆとりや余裕のようなものが意識されるので、精神衛生上よい。熟練の喫煙家がこぞってピースを愛好する気持ちが、今回にしてようやく理解できた。ていうか煙草といえば、前々から麦茶(中でもパックで煮出して、そのままパックを入れっぱなしにした水出しのやつ。エグみが出て下品なあのテイスト)と味が酷似しているように感じられるんですが、これ共感してくれますかね。特にホープ。シーシャに麦茶ぶち込んで吸ってる気分になる。こういう喫味をオーソドックスな国内煙草でこそ頻りに感じるために、どうにも苦手意識があり、だからこそ変わり種の洋モクとかシガー系の品々に惹かれるのだろう。

 

 何か、煙草を吸いながらここまで書くと、一旦気持ちが落ち着いた。あとはざっくり今日を振り返ってみて、終わりにしよう。

 昨日は荷造りや運搬、急な雨に降られるなどでひどく疲れたので、早い時間から泥のように眠った。そのおかげか朝4時半に目が覚めたので、家に残った食材を整理すべくビーフシチューを作り、炊飯をした。そうしてシチューで米を流し込む、らしくない食べ方をしながら日課のラジオを聴いていると、珍しいイベントが起こっていた。なんでも、そのラジオで顔の知れないリスナー同士が実は過去に男女の仲であったことが発覚し、男の方がまだその面影を追いかけているゆえに、女の方にラジオへの手紙でコンタクトを取ったという話だ。そのことをパーソナリティの二人は面白がり、また恋愛事に敏感なその二人は、男のことを「彼女に影響を受けすぎている」とも評していた。これだけを見ると、何ともまあ偶然もあったものだなと感心するばかりなのだが、しかしふと眼前のシチューと米に目をやると、そういえば俺の元カノもこういう食い方をしていたなと思い至り、何だか今自分がしていることが無性に未練がましく感じられ、謎の敗北感が押し寄せてきたので、憂さ晴らしにベランダで煙草を吸った。明朝で話し相手も見つからなかったので、音楽を添えながら、アークロイヤルとピースのローテーションで5~6本ほど。小沢健二THE BLUE HEARTSを3曲ずつ回したところで、気分が収まった。座り込んだ姿勢からふと空を見上げると、そこは気持ちいいくらいの快晴で、視界の下部を占めるベランダのフェンスが、それを見事に長方形の眺望へとトリミングしていた。その光景はどこかTwitterアカウントのヘッダーを想起させたので、なんだかおかしくなり、しばらく入道雲のどっしりとした姿に見惚れていた。

 それからいくらか経って、寝室へと戻った。特にすることもなく、未だに参加こそしないものの遠巻きに眺めてしまうTwitterへとログインし、またぞろ露悪的なコンテンツへの帰属意識へと強めてしまった。昨日、嫌なことがいくつか連鎖してしまったせいもあって、どうにも拭い切れない倦怠感を覚えたところで、風呂を沸かした。ゆっくりと身体を温め、さて時間も午前10時に差し掛かろうかというところで彼女が目を覚ました。いくらなんでも寝過ぎだろうとは思ったが、可愛いので許そう。その後は彼女と歓談しながら、こうしてブログを執筆するなり、彼女に齧った程度の社会学の概念を説くなり、またそれに伴って発生した学究的(この語彙を使うのは些か憚られるが、他に適当なものが思い当たらないのでご勘弁願いたい)な空気感から、互いの死生観やそのルーツについて明け透けに語り合うなど、昼間にしては込み入った話をしたと思う。彼女は自身のことがイマイチよく分からないと言う。自らの気持ち悪さにこよなく向き合ってきた自分からしてみれば、その感覚はどうにも理解し難く、ひとまず彼女が自分よりもいくらか若齢の女性であることを踏まえて、今現在提示されている情報群から判断できないのなら、これから自分と歩んでいく日々を整理してみることで帰納的に判断してみてはどうかと、まあ解決策になるんだかならないんだか分からないことを言った。とりあえず早い話が傍にいてくれっていうことで、なんだ、惚気か? よそでやります。すみません。

 

 そんなこんなで、まあ、いい感じの一日になりそうです。今日はこれから役所に行って住民票を貰ってきたり、煙草を買いに行ったり、家具家電の処分方法を具体的に考えてみたりしようと思います。

 

 あ、そういえば元カノに借りてた浅野いにおの漫画とかも読んだ。「勇者たち」めちゃくちゃ面白かった。これこそ露悪趣味やリアリズム、偏屈者の最たるものではあるけれど、やっぱり根っこのところではこういうものが好きで好きで仕方なく、この歳までその芸風でやってきた自分にとって、それを完全に克服することは土台無理な話なのだと思う。それがこれ以上加速して破滅しないようにすることが今の自分に課された課題であり、肝に銘じたい。

 

 そういえば明日、元カノが家を訪ねに来ます。書類整理とか、退去にあたっての色々をこなしに来ます。ホワイトデー乞食がよ!!!と貶しはしましたが、何だかんだ用意している辺りがキモいな。

 

 あー、久々に長文書くと楽しかった。いいなこれ。たまにやろう。

 

 また、ガスが溜まったら抜きに来ます。

目が覚めました

 彼女を失ってヒモ生活から脱したことで、否が応でも自らの過去や弱い部分と向き合わなければならなくなり、深い懊悩の渦中にありました。そうして色んな人と言葉を交わし続けた中で、一つ気付いたことがあります。自分はこれまで長くの間、自らの生育環境や対人関係に根差すソーシャルマイノリティに苦しめられてきました。虐待、服薬、性被害にまみれた周囲の人間のことを仲間だと思い、帰属意識を覚え、そのコミュニティで新たなコンテンツを提供していける自分になることを一つの目標として掲げていたのが、これまでの二十二年間の人生です。クソみたいな人生の上に下卑た笑いを被せ、覆い隠していくこの露悪趣味は、インターネットという場に身を置くことで益々加速していきました。確かに、同族との強い繋がりは生まれます。インモラルな行いに苦い顔をせず、それもまた経験だと、ある種懐が深いようでただただ破滅的な思想を持った仲間が次々と増えていきます。人間、幸せな方がいいに決まっているじゃないですか。ちょっと、振り返ってみます。小学三年生からの友人A。彼とは既に四度絶縁を経験しており、数年ほどの空白期間が彼との間にはあります。その間に彼は住処を追われ、ホームレス高校生として近畿一円を放浪していたそうで、その道すがら図ったヘリウム自殺によって記憶障害を患い、自分とのかつての思い出を忘れてしまいました。まあ、幼い頃は多少いがみ合っていた節もあるので、決して悪くないことなのかもしれませんが。次いで、中学生の頃に知り合った友人B。彼とは卒業後に親しくなりましたが、自分の知り合いの中でも生粋のインターネット育ちだと言えるでしょう。幼少期の性体験をルーツとする彼の歪みは今、女ホルを打って男娼をこなすことで有効活用されています。しかしこのAとBは揃いも揃って性機能が十全ではなく、重度の不眠症を患っているため、きっと子供の顔は見れません。彼らは自らが「若者」であるうちに、その生涯を終えることでしょう。それは少し、寂しく思います。友人Cのことは、痛く気に入っていました。彼女こそ前述する露悪趣味の最たる例であり、自らの生に道化として向き合っている姿が当時は魅力的に思えました。互いの過去を笑い話として提供し合い、傷を舐め合い、仲は急速に深まっていきました。親しかった頃、何度か性交渉の誘いを受けましたが、そういった間柄にはなりたくなかったので断り続けていました。彼女とはあくまで仲間として、エンターテイメントを共に観劇、あるいは演出する同好の士として慕っていたので、このことは今でも何ら後悔していません。まあ、そんなことは言いつつも彼女が他の男と自堕落にまぐわう時に限っては横で囃し立てていたんですから、最低ですね。彼女との最後の思い出は、元職場の精神疾患コミュニティで開かれた飲み会で40歳の上司と不倫に走ろうとしていたのを、横からやいやい煽っていた自分の下卑た姿です。その時にちょうど、先日浮気されてしまった彼女Aと付き合いました。まあ、こちらの子を選んでいて本当に良かったと思います。友人Cと寄り添っていれば、自分はきっともっと酷いことになっていたと思うので。ともかく、そういった遍歴を持つ自分の生き方に、今年二十二歳にして限界を感じたのが今回の感想です。自分は日頃より幸せになりたいと切に願っていましたが、その裏で不幸せになりたいとも、その破滅的な陶酔感にもっと溺れたいとも常日頃から考えていました。しかし悲しいかな、周囲の不幸に張り合っていると、下には下がいるもの。どれだけ渇望しようと埋まらない不幸の偏差値と、そのような中途半端な海域をふよふよと漂うことしかできない自らの不甲斐なさに日々板挟みになっていました。だからこそ、程々の不幸せ同士で身を寄せ合ってささやかに生きていこうと考えたのが先日までの彼女Aとの交際関係でした。というか、これまでの交際は全てそういった動機に基づいていたと思います。ただ一つの例外もなく。そうして辿り着いたのが「もっと引っ張ってほしい」の一言なんですから、報われません。自分でなく、こんな人間と付き合っていたその彼女が、です。とどのつまり自分は身を寄せ合っていながら、個人単位での幸福実現にしか目を向けられていませんでした。とても普遍的でたわいもない話ではありますが、そのことにようやく気付けました。共に不幸に酔うことは考えられても、共に幸福を追い求めることは出来ていませんでした。そのことは社会通念として、本来そうあるべきだという意識が自身の中に搭載されていただけにほかならず、それを全うしようという気持ちは、どこにだってありませんでした。いや、少しくらいはあったのかな。わからない。とにもかくにも、ようやく目が覚めました。先日、改めて母親と腹を割って話しました。相互理解なんて今更望むべくもありません。向こうは「心の弱さだ」との一点張りで、合理的示唆に応じるだけのバイタリティがもはや自分には備わっていないことには目を向けてくれません。しかし、そうは言ってもいられない段階に到達したように思います。あくまで自分は自分の思うことを表明した上で、しかし対立はせず、平行線の上で家庭と折り合いをつけていくことにします。無論、今でも父と会話を交わすのは心苦しいです。きっとまた過呼吸に陥ることなんかもあると思います。その時は然るべき医療施設に掛かり、処方を受けることで何とかやっていこうと思います。この一連の心情の変化は昨日、2020年2月25日に交わされた様々な人々との会話、またそれに至るまでの二週間の懊悩をもとに構築されています。最後に背中を押してくれたのは、誰だったんでしょうか。昨日は、古くからの友人に叱られました。「お前、もう笑えなくなってきてる」と。その友人を擁するグループとは旧知の仲で、そこで様々なやり取りが交わされました。無理解な友人からの心ない言葉もありました。「病むのか笑わせるのか、どっちかにしろ」と。自分は深く傷付きましたが、思えば一番自分の話を最も楽しんでくれていたのは他の誰でもない彼であり、その呵々大笑を顧みると、無下にもできないと思いました。元カノとは、煙草を吸いながらベランダでぼやき合いました。彼女は本来煙草を嗜みませんが、自分の渡すアークロイヤルにだけは口をつけてくれます。シガーキスなんかもやってみたらそれっぽいかなと思って試しましたが、こういうとこがいかにもオタクっぽいですね。恥ずかし。色んなことを話しました。彼女になるまでの付き合いも長かったので、それまでの思い出や、付き合ってからのあれやこれや。口を開いているよりは、吸っている時間の方が長かったですが。互いに「エモい」の意味について、思うところを話しました。自分にとってそれは「そう悪くない気分」のことで、彼女にとってそれは「人間味」のことでした。彼女は常々、自分のことを人間味があって好きだと言ってくれていたので、彼女にしてみれば自分はきっとエモい人間なのでしょう。だとすれば、そう悪くない気分になります。彼女は新しい男に連れられ、急遽田舎に帰省することになるそうで、その男もそこに居を構えて身を埋める気でいるそうです。結婚を前提とした交際を望んでいるそうで、この一連の所作はきっと彼女を自分から引き剥がしたいが故のそれなんだと思います。日も浅く、付き合いたての突貫工事でどこまでいけるのか見物ですが、少なくとも自分はうまくはいかないだろうなと思います。他人の生育環境に根差すトラウマに対して「家庭のせいにするのは甘え笑」という言葉を吐いてのける人間が、あの女とうまくいく筈がない。まあ、変に子供だけ作ってしまってコブつきとかにはならないでね。君には幸せになってほしいけど、少なくともその男とはなってほしくないよ。向こうに行っても頑張ってね。そんな彼女には、吸い終えたアークロイヤルの空箱を渡しました。また吸う機会があれば、これにしようかなと言ってくれたので。彼女は忘れっぽいので、現物がないときっと買えません。そうやって、更生するための色んな「バネ」を得た自分のもとに、新しい彼女ができました。初めての歳下の子で、とても甲斐甲斐しくて、初々しくて、俺はこの子をこそ幸せにできなければ、この先変わる機会なんて訪れないんじゃないだろうかという気さえしています。それに際して、このインターネットの世界からはしばらく身を引くことにしました。無論、SNS全盛の時代です。完全に断つことこそ出来ませんが、前ほどのめりこむ必要はもうないでしょう。誰も彼もが義憤に駆られ、その裏では露悪的なコンテンツ精神の横行するこのインターネットには、幸せなどどこにも存在しません。この十年弱、もちろん楽しいことはありました。インターネットによって得た人の縁はかけがえがなく、それはこの先も変わらず大事にしたいと思っています。しかし、今は。ここに身を置き続けることで、失うものこそあれ、何か得るものがあるようには思われません。もう少し、強い人間になってから、自分はここに帰ってきます。

 

 ここまで長々と曝け出してきましたが、これまで無機質なインターネットオブジェたらんとしていた自らに対するアンチテーゼとしてこれを提出することで、「とろゝ」のインターネット生活の幕引きとしたいと思います。

命にしがみついた二週間

 同棲していた彼女Aを、ソーシャルマイノリティに理解のないウェイに取られてしまって苦悩し続けた二週間、苦節の末新たに彼女Bを授かりました。授かる? そう授かった。ありがとう神様。最高の処方箋だよ。

 

 ていうかマジで今年の初詣で引いた恋みくじが的外れすぎる。「慎ましやかに過ごすべし」との言がたったの二か月で破綻した。住処を追われて慎ましさもクソもねえわ。

 

 ともかく、一旦毒親の巣食う実家に帰ることは避けられないので、ほどほどに服薬しながら健康で文化的な生活を目指します。彼女本当に可愛い。みるみる鋭気が養われていく。デパスの擬人化か何かなの? デパ子!!!好きだぞ!!! いや、今回全然デパス効かなかったからそれ以上の存在。とにかく超可愛い~~~初々しい~~~高校生の頃のやきもきとか思い出す~~~

 

 デパ子って失礼すぎるな。倫理を捨てるな。

 

 はい。

 

 今日元カノ(上記A)と焼肉行ってきたんですけど、伝票見てみたら何故だか「TEL○○(ここには自分の父親の名前が入っています)」と書かれていて、とにもかくにも店員に顔が割れていた上、何故だか自分が訪れたことを父に報告される運びとなっていました。いや、確かに親に教えてもらった店ではあるけどさ、なに、おかしくない? あの人マジで何者なの? 顔の利くヤクザなの? 意味が分からなすぎて、会計の時にしばらく固まっちゃいました。ていうか伝票に何書いてるの? マジでわかんねえ。

 

 引き続き、死なないように頑張ります。