お昼時の放送

 学生の時分、放送委員の手を介してお昼休みの電波ジャックに乗り出したオタクは少なくないと思う。それは小学生高学年の頃に実際に放送委員を務めていた自分の目から見ても、確かなことだった。

 

 あの年頃でメディアの領域に行きつくような人間は、日陰で反吐にまみれているのがとても似合うタイプの人種だからだ。

 

 ただでさえ家に籠りがちな陰気人間が、小学校というコミュニティにおいてさえ放送室という隠れ蓑を得てしまっては、手の付けようがない。

 

 さて、かくいう自分も中学生になってからというもの、覚えたてのボーカロイド文化にすっかり浮かれており、青少年の耳朶に怪電波を叩きつけることに快感を感じていた。加えて性欲も爆発して抑えが利かなくなってきた頃でもあり、当時はキモさが極まっていた。

 

 ともかくパーソナリティからリスナーへ。レコメンドする側からリクエストする側へと、転身を果たした自分は、校内の電波を間借りして様々なオタクメロディをかき鳴らした。

 

 4限終わりのチャイムが鳴ると弁当も購買も尻目に、いの一番に駆け出す奴らがいた。それがオタクだ。

 

 各々自薦のアルバムを小脇に抱え、あるものは初音ミク、あるものはKOTOKO、またあるものはふぃぎゅ@メイトを放送委員に鼻息荒く押し付け、自分の曲は今か今かと心待ちにしながら教室で余暇を過ごす。それがいざ流れようものなら、ひそやかにガッツポーズを決め、コミュニティの人間にこれ見よがしな視線を送りつつ、ぬひひと潜んだ笑いを浮かべ合う。

 

「ちょwwwおまwww学校で流すなしwww」

 

「やばwww」

 

「○○たんhshs」

 

 みたいなのが、ウキウキ、キャッキャっとしている教室で、無論軋轢は生まれる。

 

 ヤンキー、DQNはそのキンキン声の楽曲群に眉を顰め、それをかき消すかのように声を荒げ、オタクを糾弾する。

 

 放送というメディアを手中に収めたオタクと、暴力というパワーを手にしたヤンキーの衝突は、しかし大した波紋も生まず、ただ教室の脇にあるスピーカーの電源が落とされることで幕を下ろす。

 

 彼らが腕力を振るうまでもなく、ツマミ一つ回せるピンチ力さえあれば我々は容易く敗北してしまうのだ。幼子にさえ勝てないメディアを我々は崇拝していた。

 

  あれから十年。

 

 こうして振り返ってみて、今。

 

 深夜ラジオという日陰者のコンテンツに、行き着くべきして行き着いたのだと得心した。

 

 あの時分に手を付けていたならば、タイムリーに伊集院光に心酔していたのかもしれない。そう考えると怖気立つものがある。

 

 童貞賛美のルサンチマンになんて、死んでもなりたくない。性交は確かな社会的ステータスであり、価値があり、大前提として気持ちいい。

 

 向上心のないものが馬鹿だとは思わないけれど、性欲をひた向きに希求することすらできなくなった生には恐怖を感じる。

 

 あの頃。性器をマンションの屋上で露出することに快感と誇らしささえ感じていた中学二年生の自分は、そういった諦観とは無縁で、とにかく馬鹿なくらい素直だった。近所の老人に現場を目撃されていたことを加味しても、だ。

 

 CDや自己顕示欲だけでなく、性器までもがまろび出ていた中学二年生の夏。

 

 今では深夜ラジオを日常的に聴き続け、女は寝取られ、いつまで経ってもうだつが上がらないような昼行燈になってしまったが、事ここに至って露出癖と童貞賛美の精神からきちんと距離を置けていることに何よりの安堵を覚える。